「博士でも大丈夫?」

 こんなショッキングな記事を目にしました。

博士でも大丈夫!東大院が父母に8割就職とPR


 東京大学大学院工学系研究科(東京・本郷)が9日、学部や修士課程の学生の両親を対象に、博士号を取得するメリットをPRする説明会を開いた。


 将来を不安に思う両親が博士課程への進学に反対するケースが多いことを受け、大学院の実態を知ってもらうのが狙い。


 約40人が参加した会では、中須賀真一教授(航空宇宙工学)が、博士課程を修了して5年後には企業や大学での常勤職に8割が就職している実績を紹介。任期付きで不安定な博士研究員(ポスドク)を続ける研究者が多いなか、「東大工学系は就職難ではありません」とアピールした。


(読売新聞Web版2010年10月11日掲載)


 少なくとも、各国において最高峰と呼ばれる大学の中で、このような趣旨の「父母説明会」をしている大学院は、世界広しと云えども、他の国にはないだろうと思います(もしあれば、教えてください)。最近日本では、大学院生の親が教員に電話をかけてきて、「どうしてウチの子供が、こんな悪い成績をもらうのかわからない」と文句を言う、という信じられない話を耳にしたことはありましたが、その時は、「まあ、そんな極端な"Monster Parents"もいるのだろう」という程度に考えていました。


 しかし、この記事を読むと、事態はさらに深刻なようで、「ああ、こんな説明会に参加する親たちは、きっと自分たちの息子や娘が大学院で博士号を取って就職できなかったら、大学に『一体どうしてくれるんだ!』と怒鳴り込んで来るんだろうな」と、やりきれない気持ちになりました。


 「末は、博士か大臣か」と昔は羨望されたのでしょうが、某国の前首相などを考えても、その両者を満たしていても、必ずしも誉れが高くはならないのが、今の世の中です。「ウェブで学ぶ」を一緒に書いた梅田望夫さんが、本書の中で言われているように、「『未来は予測不能』という前提に立って、一人ひとりが、少しでも可能性があると思える方に向かって行動し、試行錯誤をくりかえしていくしかない」という社会状況の中で、博士になることを「ゴール」のように考えたり、それを安定した就職に繋げようとする発想自体が、既に時代錯誤なのです。このような「説明会」を開催する大学教員も、それに参加する親も、また彼らに育てられてきた学生たちも、早くそのことに気付かなければなりません。


 黒川清先生も、ご自身のブログで言われているように、日本の経済的成長が停滞してきた時代の親や教師たちは、現実に戸惑いながら自分たちの既得権益を必死に守ろうとするばかりで、子供たちに、「何かを強く希求し、一人の個として新しい世界に飛び込んで挑戦すること」の大事さを教えることを怠ってきてしまったのでしょう。そのことを教えようとされているのが、この秋、慶應のSFCで黒川先生が始められた「グローバルサイエンスとイノベーション」というコースです。素晴らしいのは、このコースは、オープンに学生たちと作り上げられていく、ということで、「元気の出る」初回の講義ビデオ(「授業仕分け」のビデオ?)も既に公開されています。


 必要なのは、自分自身の「無限の可能性」を信じて、積極的に考え、学び、行動し続けることです。それが出来ないのであれば、高卒でも、大卒でも、大学院卒でも、激動の世界を生き抜いていくのは、今後ますます難しくなっていくでしょう。「博士号」も「東大工学系」も、ゴールではなく、通過点に過ぎないことを考えれば、「博士だから大丈夫」「東大工学系だから大丈夫」などとは、軽々しく言えないはずです。所詮は、その人自身が「その後」どう生きていくか、という姿勢に大きく左右されることなのですから。


 大学や大学教員の側も、自分たちの提供する大学教育や大学院教育によって、いかにして日本国内だけでなく世界中の大学や企業が欲しがるような人材が育てられるのか、ということを実績と共に説明する必要があります。とは言え、今の日本の大学や大学教員の一体どれだけが、自信を持ってそのような説明ができるのでしょうか。省みて、直ちに正すべきことは、少なくないはずです。


 石倉洋子先生が、最近「大学や教授が恐竜と化す危機」というテーマで記事を書かれましたが、確かに、大学教員にとっては、「自分たちの学生の就職難を心配するどころか、自分たちの職の心配もしなければならない時が、もうすぐそこまで来ている」のかもしれません。